東京都による避難者追出し訴訟
本日は意見陳述の貴重な機会を与えていただき、御礼申し上げます。
更に、私の体の都合によって、先月に予定されていた期日を、今日に延期してくださったことを心より感謝申し上げます。
二ヶ月前、私は進行性の大腸がんを切除する手術を受けました。巨大化したがんは、既に腸閉塞を起こしかけており、私は入院直後から、高熱と酷い炎症で危険な状態に陥りました。幸い、経験豊富な外科部長の機転で、なんとか無事に手術を乗り越え、今日、ここに立つことができましたが、これは幸運な偶然が重なった結果に過ぎません。
五月の始めに自分が癌に侵されていることを知った時、最初に感じたことは、『ついに自分にも番が回って来たか』 という落胆の思いでした。
原発事故被害を訴える集団訴訟は、全国に30事件程あると聞きますが、それを率いている原告代表の中には、癌と闘いながら国・東電と闘っている人が少なくありません。私もまた、福島原発被害東京訴訟の原告団長として、この10年余り、運動の先頭に立って声を上げてきましたが、共に戦う全国の仲間たちが、陰で抗がん剤治療を受けながら、重い体を引きずって声を上げ続けている姿に、胸を痛めてきました。その多くが、私と同じ避難指示区域外からのいわゆる自主避難者や、福島に残った人たちです。私の避難元である福島県いわき市で訴訟を率いてきた方も、正に今月から癌と闘い始めたと聞きます。
そんな仲間たちから聞く情報には、もうひとつ嫌な共通点があります。発症者が、がんの家系ではないこと、そして本来希少であるはずの悪性度の高いがんの人が多い点です。私自身、それに当てはまります。主治医は私の癌の遺伝子変異の結果を見て、急に治療の方針を変えました。従来、転移や成長が穏やかだと言われる大腸がんでありながら、私の癌は例外的に悪性度の高い変異で、この癌が転移を始めたら、施しようがなくなる可能性が高いのだそうです。より強い抗がん剤治療に変更する、と語る主治医からは、手術直後の楽観的な表情が消えていました。
また主治医は、摘出した私の癌について、『この癌は10年以上前に出来たものだ』と語りました。10年以上前。その言葉に、13年前に起きた原発事故と、当時自分が暮らしていた福島県いわき市の夥しい放射能汚染を、回想せずにはいられませんでした。
今、私の周りには、一般的に予後が良いと言われる甲状腺がんや乳がん、大腸がんでありながら、例外的に悪性度が高く、転移が早く、苦しい抗がん剤治療を余儀なくされている方が少なくありません。避難指示が出されなかった汚染地域での低線量被ばく、それによる度重なる遺伝子へのダメージが、癌への遺伝子変異の比率に影響を与えているのではないか。工学博士として、そして一人の科学者として、遺伝子や放射性物質を扱ってきた経験や知識が、これらの現象が偶然ではないことを導くのです。
一方、医療が劇的に進歩した現代においても、癌の治療の主軸は早期発見による外科的治療です。転移後の癌に関しては、癌組織だけを特異的に攻撃できる化学療法はほぼ無いため、投与された抗がん剤は、癌である無しに関わらず患者の細胞を攻撃し、患者は耐えがたい副作用と長期間闘い続けることになります。にも拘らず、その効果は良くても 30~40%程度。半分も効きません。結果、残酷な副作用の苦しみが終わるときが、緩和ケアへの移行、すなわち治療の断念となるケースの方が多いのが今の医療の限界です。自分が癌になって、改めてそんな残酷な現実を突きつけられ、これが年端のいかない子どもや若者たちにも起きている福島の現状を、この国が見て見ぬふりをしていることに、今、改めて怒りを覚えています。
例え低い確率だったとしても、これだけ残酷で取り返しのつかない病をもたらすことが明らかになっている放射性物質から、逃げたいと願っている人たちを、この国や自治体は、守らねばならなかったはずです。しかし、国や東京都がしたことは、その真逆でした。
私はいわき市に避難指示がでなかったばかりに、被曝を回避することができませんでした。妻子だけを逃がし、それを仕送りで支えるのが精いっぱいでした。2013 年からは署名を集め、国と福島県と東京都にお願いに行き、放射能の害があるうちは避難を継続させてくれるよう、話し合いを続けてきました。そして国が避難住宅の提供を打ち切った 2017 年以降も、東京都はすぐには私たちを追い出さず、毎年の話し合いに応じてくれていました。しかし、2021 年に国が東京都に損害金を請求するようになってから、状況は一転しました。そして私に対して住宅の明け渡しを求めるこの裁判をおこされました。
私は今も疑問に思い続けていることがあります。何故、私は東京都と争わなければならないのでしょうか? 私たちが住んでいたのは、国が管理する国家公務員宿舎です。国が避難住宅として提供することを決め、また国が被害者の懇願を無視して一方的にその提供を打ち切ったことで起きた問題です。もしも国が私たち避難者に返還を求めると言うのなら、逆に私たちは国に、家や街を汚染された被害に対する損害を求めます。ですが、私たちと東京都との間には、そのような争いは無いはずです。 私たちとの話し合いに応じてくれていた都の担当者は、繰り返し『裁判は起こさないし、仮に起こすことになったとしても勝つつもりはない』と、私たちに言い続けていました。私は今も、その担当者の言葉こそが、都の本心であると信じています。被曝がもたらす病は、癌だけではありません。今、私の避難元である福島県いわき市では、急性心筋梗塞で亡くなる人の割合が、全国平均の2倍を超えています。これはチェルノブイリ事故後にも多発したことが広く知られている病です。人口 30 万を超えるいわき市で、死因の割合にこれだけの変化が出るということは、相当な数の方が急性心筋梗塞で亡くなられていることを意味します。市の抱く危機感は強く、最近ではテレビでも繰り返し注意喚起が報じられています。
また、福島県全体でも急性心筋梗塞死は全国トップで、脳血管障害を始めとした、いくつかの生活習慣病も非常に増加していると報じられています。
13 年経ってなお、本来なら飲食禁止であるはずの放射線管理区域の基準を上回る放射能汚染のもとで、日常生活を続けることによる低線量被ばくが、人体にとって安全でないことは、むしろ科学的には明らかです。しかしながら、この非人道的で大規模な生体実験は、13 年を過ぎた今もなお継続中なのです。
今年1月、いわき市の自宅の庭の土壌測定をしてみましたが、依然として40,000Bq/m^2 の放射線管理区域の基準を越えていました。平時であれば子どもが立ち入るはずもなく、放射線業務従事者であっても飲食が禁止される放射能汚染の中で、私は妻子と共に日常生活を再開するなど考えられません。むしろ、そのように夥しく汚染されてしまった地からの避難が正当と認められず、まるで被害が無いかの様に扱われ、このような裁判を起こされていることに、今、改めて怒りと悲しみを覚えます。
多くの公害訴訟において、国が病と原因との因果関係を認めるまでには、長い年月の争いがありました。今、私たちが実感している多くの健康被害を政府が認めていないとしても、遺伝子を直接傷つける放射性物質が有害であることに、争いは無いはずです。福島原発事故由来の放射能汚染が元通りになるまで生きられる人間は、今、この場に一人もいません。つまり今、生きている私たちは誰一人、その被害の全てを見届けることはできないのです。
ですから、その間の被害を最小に留めるためにも、放射能汚染からの避難を求める人たちから、家を奪わないでください。
この裁判では、私だけが被告として訴えられましたが、今も怯えて暮らしている避難者たちは皆、この裁判の行方を、固唾を飲んで見守っています。
原発事故さえなければ、必要のなかった避難、味わうことのなかった恐怖は、今日も続いているのです。
裁判長、どうか私たちをこの歪みと理不尽から救ってください。
ありがとうございました。
区域外避難者とされたことによって、避難者は避難先で幾度も差別的な扱いを受けた。
健康診断が受けられなかったこともその一つ。
避難先の自治体でも健康診断を受ける仕組みは整っていたにも関わらず、いわき市民だからという理由でその仕組みは適用されなかった。
本来であれば悪化する前に気付けるはずだった「癌」。
ステージ3になるまで発見できなかったのは明らかに原発事故の影響だ。
…私は、そもそもの癌が被曝由来である可能性自体は低いと思う。
しかし、10年以上前、彼は汚染があることを知りながら福島で働いていた。
そのストレスは相当なものだったはず。
それを考えると、ステージ3になったことだけでなく、癌自体も原発事故由来なのではないかと思ってしまう。
こう思ってしまうのはあやまりだろうか。
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