故郷を訪ねて・・・

 奥に福島第二原子力発電所が見える。強い日差しで肌が焼けるような暑さを感じる8月1日。四角い無機質な建物の中では、私が今いる外とは比べ物にならない程暑い中で、防護服に身を包み、汗に溺れそうになりながら作業をしている人達がいるのだろう。
 私の故郷、いわきの自宅は福島第二原子力発電所からは30km圏内だ。13年前のあの時、一本のケーブルが奇跡的に動き、死にかかっていた原発を何とか繋ぎ止めたから、福島第二原子力発電所は過酷事故に至らずに済んだ。もし、あの時その奇跡がなければ、今でもいわきは立ち入りさえ禁じられるような状態だったかもしれない。


 現在地は富岡の浜街道。廃炉が決定した福島第二原子力発電所を通り通り過ぎながら、県道391号をバスが走っていく。
 9:30。特定廃棄物埋立情報館、「リプルンふくしま」に到着する。優しそうな職員の出迎えを受け、中に入る。まず目に入るのは環境省のロゴが入った「リプルンふくしま」の理念。最初に気になったのが、真ん中の文章が後から貼られていること。何か都合の悪い事があったのではないかと勘繰ってしまい、職員に話を聞くと「昔は、処理を進めている最中だったから現在進行形になっていたが、現在処理が終わったので過去形に張り替えただけ」とのこと。何もなくてよかったと思うと同時に、環境省という国の機関が書いているものが信頼しずらくなってしまっていることに、辛い気持ちになる。

 次に空間線量率の説明を受ける。実際に測定されたデータをもとに、汚染が非常に減衰していることを説明される。モニタリングポストがあるのは除染が行われた地域が多いため、現在の値が低いことは当然だと思うが、初期値(原発事故直後の放射線量)から比べて減衰率があまりにも高い。同条件での比較ではないのではないかと気になったため質問をしたところ、初期値はモニタリングポストではなく実際に人が計測したものが使われているということ。そもそも、復興の状態を示すのであれば、原発事故前と比べるべきであり、同条件であってもこの比較はよくないと思うが、そもそも同条件ではなかったことに驚く。こういうことは、信頼をされずらくなるので、やるべきではないのではないかと思った。



 次に廃棄物の処理の方法についての説明を受ける。これは、もしかすると8000bq/kg以下の土壌を全国の公共事業で無理やり使わせる、という話がでるのではないかと思って聞いていると、まさにそのことについて話し始める。「全てを廃棄物として処理すると渋谷区ぐらいの面積が必要になってしまう。しかし、8000bq/kg以下の土壌を公共事業に使っていただければその1/3の面積で処理ができる。」として、汚染土を資源として使うことにメリットがあると説明してきたのだ。資源として使うことになったとしても汚染した土であるという事実は変わらない。国が被害を矮小化できるというメリット以外に、わざわざ福島から汚染した土を運搬し、公共事業に使うメリットはない。流石におかしいと思い、このことについてどのようなメリットがあるのかを質問する。職員は「国は土を意味のある資源として考えているようで……」、と言葉を濁す。土はどこにでもあるものであり、遠距離を運搬してでも使いたい資源ではなく、本当にそれがメリットになるのか再度職員に聞くと「……一職員なので国の考えの詳細は分からず答えられない……」、と返答した。適当にはぐらかすのではなく、分からないことを真摯に答えてくれたことが意外で、相手に対して尊敬の感情が芽生える。その後も様々な説明を受けながら、色々と現地の話をメモしていく。非常に重要な話を多く聞くことができてとてもよかった。
 のちに聞いた話だが、私の質問に答えてくれていた職員は実は量子力学の博士だったらしい。だから、こちらの質問に対して、はぐらかすことなく、分からないことについては分からないと答えてくれたのだろう。いい人とやり取りができたことを嬉しく思うと同時に、そこまで優秀な人にこのような合理的ではない政策を説明させているという構造があることに落ち込む。

 ちなみに、この「リプルンふくしま」にはこのような展示もあり、こんなことも展示してくれているのかと驚いた。

 次は夜ノ森公園の近くの桜のトンネルの地点に向かう。夜ノ森公園は、私が小さい頃いつもあそびに行っていたところだ。花見の季節もそうだし、秋に落ち葉にまみれて遊んでいたのも覚えている。しかし、今では、そんなことをすれば当時の何倍も被曝することになる。非常に重たい事実だ。おそらく、私が死んだあとも、この事実は変わらないだろう。なぜ、こんなことになってしまったのかと、辛くなる。

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