福島に行って鼻血が出た話

 夜ノ森桜通りから離れ、次は原子力災害伝承館に向かう。見渡す限り一面、綺麗に舗装された原子力災害伝承館。モニタリングポストの示す値は0.06μSv/h。どれだけのお金をこの除染に費やしたのだろうと思う。ただ、それでも直前の道路での空間線量は0.4μSv/hを超える。いつも遊んでいたような目の前の山に入れば、モニタリングポストの何倍になるかも分からない。人間のできることの少なさを改めて実感する。伝承館に入り、最初に5分程度の映像を見る。迫力のある映像に流石だなと感じていると、唇に何かが触れるのを感じる。鼻血である。やばい、と思ったときにはもう遅く、鼻を抑えた手に血があふれていく。すぐに職員が気付いてかけよって、色々と介抱をしてくれる。私は大丈夫と断ったが、一応念のためということで、救護室に連れていかれる。ここで、とりあえず落ち着くまで休んで下さい、と言われベッドに座る。出血には人の興奮を抑える作用でもあるのだろうか。高揚していた気持ちが急激に低下し、体温が下がったような感じがする。鼻を抑え、白い部屋の壁を見ていると、震災当時のことがよみがえってくる。

 あの時、避難所には鼻血を出す子どもが多くいた。しかも、尋常ではない量の鼻血を出す子が沢山いたのだ。レジ袋や洗面器で鼻血を受けながら歩いている子ども。共同洗濯場では、布団についた鼻血をどうするか母親達が話し合っていた。私自身も、洗面器で受けるような鼻血が繰り返し出続け、最終的に、手術をして鼻の血管を焼き切ることにした。私にとって、初めての手術でとても辛かったのを覚えている。当時は、これが何なのか分からなかったが、後から、双葉町や宮城県丸森町といったプルームが通った地域で、鼻血の症状を訴える人が別の地域に比べ非常に多かったことを知った。被曝の量から考えてこの症状が急性被曝による確定的影響ではないことは明らかだろう。ただ、自分の避難所だけでなく、多くの地点で何かしら異常なことが起きていたのかもしれない。

 しかし、これだけで問題は終わらなかった。 

 とあるメディア報道でこの問題が触れられた。その途端、「こんなことを言っているのは誰だ!」、とまるで魔女狩りのように大規模なバッシングが発生した。「嘘を言うな」、「賠償金が欲しくてデマをまき散らす気持ち悪い乞食だ」、「頭が犯されて放射”脳”になってしまったヒステリック偽避難者」、「頭ベクれてる」、「非国民」、肉体的にも精神的にも限界だった避難者をとてつもない誹謗中傷が襲った。ただ起きたことを喋っているだけの避難者を、多くの人がまるで犯罪者かのように、責め、つるし上げた。ただの一般人だった避難者が、こんな状況の対処の方法なんて知るはずもない。そして、その状況に対して、助けの手を差し伸べるべき国は、まるで、避難者が嘘をついているかのように広報した。この事件で、多くの避難者は被害について喋れなくなってしまった。実際に起きたことを喋るだけで、壮絶な誹謗中傷に晒される。疲れ切っていた避難者を黙らせるのに、この事件は十分すぎた。

 今では、そんな鼻血が出ることはない。何年も前のことである。今日、何か特別なことが起きたわけではないことは、私が一番よくわかっている。でも、この地で当時のことを思い出させるように鼻血が出たことには、何かを感じざるを得なかった。

 

 

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